心に残る写真旅個別記事

アヤメの里「潮来・佐原」花紀行(茨城県)

写真旅 心に残る写真旅個別記事 関東近郊の花名所

水郷のあやめに魅かれて一度は訪れたいと思っていた、佐原の「佐原水生植物園」と潮来の「潮来あやめ園」のご紹介。

両園は距離的に近く、掛け持ちの見学が可能で、嫁入り船などのイベント時間を確認することをお勧め。

 

<嫁入り船で知られる「水郷潮来あやめ園」(茨城県)>

あやめが見頃の時期「嫁入り船」で知られる「水郷潮来あやめ園」を訪問。潮来は、昭和30年に美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが潮来で行われたのをきっかけに、全国的に知られるようになる。

また潮来地方は水郷地帯のために、地域一帯に水路が縦横に張り巡らされ、嫁入りする際に花嫁の移動や嫁入り道具を運搬する時にサッパ船を使ってきて、この風習は昭和30年頃まで日常的に行われていたようです。

 

水郷あやめ祭りのイベントの「嫁入り船」が人気ですが、花村菊枝さんが歌った「潮来花嫁さん」の大ヒットがきっかけとのこと。

モデルの花嫁さんと思いましたが、実際には結婚したカップルや、結婚後の記念にと応募される方が多いと聞く。写真のカップルも結婚記念にと応募した方です。

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潮来市「水郷潮来あやめ園」あやめと太鼓橋
潮来市「水郷潮来あやめ園」あやめと潮来娘
潮来市「水郷潮来あやめ園」あやめの中を進む花嫁
潮来市「水郷潮来あやめ園」あやめと花嫁
潮来市「水郷潮来あやめ園」嫁入り船
潮来市「水郷潮来あやめ園」嫁入り船

 

 

<東洋一の花菖蒲「水郷佐原水生植物園」(茨城県)>

花菖蒲で知られる「水郷佐原水生植物園」がある「佐原」は、江戸時代末期から昭和前期に栄え、その当時の木造町屋建築、蔵造の店舗や「伊能忠敬旧宅」などが残されている歴史の街。

香取市佐原の「水郷佐原水生植物園」は、400種150万本の花菖蒲が水路脇に咲き誇る景観は、東洋一といわれるのも頷けます。

 

昭和44年に開園したこの水生植物園は、水生植物園の名の通り水生植物も栽培しており、水際の景観を引きたてている。

水生植物園ある地区は、十六の島が集まった集落だったそうで、島の間の交通手段として「サッパ船」が使われ、農仕事や買い物、お嫁さんに来てもらうにも船が必需品でした。

 

水生植物園のイベントの一つ「嫁入り船」はこの地区で行われていた結婚式を再現したもので、嫁入り船のご両人は一般に募集した方が乗り、この日は結婚2年目(と聞こえました?)の方が記念にと応募したようです。

水路脇に並ぶ観光客から「おめでとう お幸せに」の祝福を受け幸せそうでしたね。

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香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲の花風景
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船

 

台湾最古の歴史建造物「赤嵌楼」(台南市)

写真旅 心に残る写真旅個別記事 魅惑の国「台湾紀行」

「台南市」の郊外にある「赤嵌楼(せきかんろう)」は台南最古の歴史建造物で、1652年にオランダ統治時代にオランダ人が建造したもので、台南防衛の拠点のひとつでした。

オランダ統治、明鄭時代、清時代、そして日本統治時代と様々な政権へと移り変わっていく中で、何度も改築や修復がされたということですが、レンガの城門や基礎などは当時の面影を残しています。

 

台湾の歴史上の人物として知られている「鄭成功」は、「赤嵌楼」を包囲したオランダ軍に勝利した人物として知られ、その政権時代に名前が赤毛城から「赤嵌楼」と改められています。

「鄭成功」の奥さんは日本人ということで、それに関するお話をいろいろガイドさんが話してくれました。

 

良い功績を残した人を称えた碑文を刻んだ石碑が並んでおり、その下に亀の彫物が並んでいます。

伝説の由来からすると、重荷を背負う神通力を持った亀ということのようです。
それにしても、3月でも熱帯エリアに属する「台南市」は暑かったですね。
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台湾台南市「赤嵌楼」石碑の下の亀の彫刻
石碑の下の亀の彫刻
台湾台南市「赤嵌楼」鄭成功の像
鄭成功の像
台湾台南市「赤嵌楼」科挙制度試験の参考書
科挙制度試験の参考書
台湾台南市「赤嵌楼」赤嵌楼を見上げる
赤嵌楼の建物の一部

 

台湾一大きい廟「文武廟」(南投市)

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「文武廟(ぶんぶびょう)」は日月潭の湖畔にある台湾で一番大きな廟(日本のお寺に近い)です。

この廟は、日本統治時代にこの日月潭を利用しての発電計画に伴い、湖面が上昇して二つあった廟が移動して一つの廟として建立(1938年)されたのが「文武廟」の始まりです。

 

建物は山門側から奥に行くほど高くなっていて、順番に「拝殿」「正殿」「後殿」の三層構造になっています。

一番手前の「拝殿」は主要な祭祀を行う場所で、その次の「正殿」に三国志などでおなじみの関羽や岳飛の武の神様が祀られており、一番奥の「後殿」には儒教の創始者「孔子」の学問の神様が祀られています。

 

山門をくぐって出迎えてくれる大きな二匹の赤い獅子像は「石獅」とよばれ、高さ約8mもある大きなものです。

獅子の「石獅」と「九頭の龍」の彫物は文武廟でも特に有名です。一番奥の「後殿」の階段を更に登っていくと写真のような文武廟の美しい屋根越しに、日月潭の風景が目に飛び込んでいます。
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台湾紀行「文武廟」前殿(文廟)付近から山門を望む
前殿(文廟)付近から山門を望む
台湾紀行「文武廟」屋根越しに日月潭を望む
屋根越しに日月潭を望む
台湾紀行「文武廟」九頭の龍の彫刻
九頭の龍の彫刻
台湾紀行「文武廟」赤い8メートルの獅子像
赤い8メートルの獅子像

 

干潮時に出現する白砂の「幻の島」(浜島)

写真旅 心に残る写真旅個別記事 亜熱帯の島「八重山諸島」

潮の満ち引きによって限られた時間だけ姿を見せることから「幻の島」(別名 浜島)と呼ばれる白砂の島は、数々のCMの撮影地として知られています。

小浜島近くに位置する「幻の島」へは定期船の運行がないために、石垣島と小浜島から現地のマリンショップのアクティビティツアーのような自社(個人)所有のボートでしか向かうことができません。

 

周囲360度をエメラルドブルーの海に囲まれた白砂の小島ですが、干潮時のほんの数時間しか滞在することができません。時期によってはツアー船が小島を取り囲むほど多く集まり、上陸した人数の多さでのんびり南国の風情を楽しむことができない時もあるようです。

夏のトップシーズンの混雑や、干潮時間など、条件に大きく左右されますので、事前にマリンショップなどで情報を仕入れていきましょう。

※写真をクリックすると拡大した写真がご覧になれます。

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八重山諸島「幻の島」ソーダブルーの世界から島を望む
ソーダブルーの世界から島を望む
八重山諸島「幻の島」砂上に島に寄せるボート
白砂の島に寄せるボート
八重山諸島「幻の島」広大な島にボート一隻と一人
広大な砂州の景観
八重山諸島「幻の島」島に上陸したカップル
上陸したカップル
八重山諸島「幻の島」停泊したボート上の女性
砂浜に乗り上げ停泊中のボート
八重山諸島「幻の島」砂上に佇む女性
砂上に佇む女性
八重山諸島「幻の島」砂上に佇む女性一人の世界
満ち潮に入り消えゆく砂州の中で

 

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