心に残る写真旅個別記事
写真旅 心に残る写真旅個別記事 紅葉映える「錦秋の京都」
嵯峨野にある「落柿舎(らくししゃ)」は、江戸初期の俳人・向井去来が晩年を過ごした風雅な草庵で、師の松尾芭蕉もここで「嵯峨日記」を記しています。
草庵の周囲に40本の柿の木があったそうで、柿を売る契約をしたのちに、柿が台風ですべて落ちてしまったために、こう呼ばれているようです。
現在の庵は、江戸時代中期から後期に活躍した俳人・井上重厚の再建で、現在は公益法人が保存・運営しています。
草庵と柿の木と紅葉の風情がよくマッチし、落ち着いた景観が素敵でした。
入り口で俳句を記す用紙をもらえ、読んだ後に投函する箱も用意されています。自信のある方は一句読まれるのもよいでしょう。
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落柿舎入口門 |
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蓑傘が吊るされた「本庵」の正面 |
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句会席が行われる「次庵」 |
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本庵前の紅葉 |
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実った柿の木と次庵 |
2016年2月23日
写真旅 心に残る写真旅個別記事 紅葉映える「錦秋の京都」
嵯峨野にある「化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)」は空海が創建し、のちに法然がねんぶつ道場を開いた浄土宗のお寺です。
平安時代以来の墓地で、境内にまつる八千体を超える石仏・石塔は、あだし野一帯に葬られた人々のお墓です。
化野(あだしの)の「あだし」は、はかない、むなしいとの意を含んでいるそうです。
何百年という歳月を得て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期に地元の人々の協力で配置安祀したとのことです。
この無縁仏の霊にローソクをお供えする「千灯供養」(※)の光と闇と石仏が織りなす光景は、浄土具現の感があるとして、多くの参拝者があるそうです。
(※)毎年8月23、24の両日
みず子の霊を供養する茅屋根の小さなお堂の「みず子地蔵尊」の脇から続く「竹林の小径」は、手入れも行き届き一見の価値ありです。
秋には鮮やかに色づいた紅葉が境内を取り囲み、石仏とのコントラストの美しい風情が見られます。
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化野念仏寺入口近く |
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鐘楼 |
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西院河原脇の紅葉 |
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竹林の小径 |
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西院の河原を望む |
2016年2月18日
写真旅 心に残る写真旅個別記事 紅葉映える「錦秋の京都」
「祇王寺(ぎおうじ)」は竹林と楓に囲まれた草庵で、山号を「高松山」と称す奥嵯峨にある真言宗の尼寺。
名の由来は平清盛の寵愛を受け、のちに仏御前に愛を奪われて捨てられた白拍子の祇王が、母や妹ととともに庵を結んだことによるそうです。
98歳で亡くなられた庵主の智照尼は、瀬戸内寂聴の小説「女徳」のモデルになった人で知られています。
苔の庭でも知られる祇王寺は、竹林と楓が彩り、四季を通して心を癒してくれるでしょう。
写真に苔の上に落葉した紅葉が乗っている写真を掲載しましたが、どなたかが写真を撮るために形よくのせたものでしょう。
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祇王寺門の紅葉 |
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年月を重ねた草庵の門 |
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ひっそりとしたたたずまいの草庵 |
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苔と落葉 |
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苔庭から草庵を望む |
2016年2月16日
写真旅 心に残る写真旅個別記事 関東近郊の花名所
東京都青梅市の「吉野梅郷」は、関東でも有数の梅園として知られていますが、そのなかでも広大な面積を要する「青梅市梅の公園」の紅白に花咲く梅林の光景は幻想的です。
残念ながら、訪問の翌年に一部の梅の木が植物防疫法検疫対象の「プラムポックスウイルス」に感染し、感染拡大を防ぐために「青梅市梅の公園」の梅林のほとんどが伐採されました。
写真のような景観を見ることができなくなりました。再び梅林が植栽されても、元の景観を取り戻すのには長い年月を要することでしょう。
2016年2月15日
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