「唐人お吉」ゆかりの史跡(下田市)
美貌だったとされる「お吉(本名・斎藤きち)」さんは、ハリス来航後に幕府に命じられて17歳でハリスに仕えた芸子さんです。
仕えた期間は短かったようですが、当時人から唐人として偏見の目で見られて「唐人お吉」と呼ばれた女性です。
下田生まれの筆者が小さい時から聞かされていた唐人お吉の哀話は、ハリスの居住している玉泉寺に通うお吉に対する人々の蔑視や嘲笑に耐え切れずに、酒におぼれ世間から孤立し、孤独の中で稲生川に身を投げ51歳の短い生涯を閉じたと聞かされていましたが、別の説もあるようです。
(玉泉寺は、伊豆の散歩道・下田「玉泉寺」でご紹介しています)
<宝福寺>(地図)
稲田寺から徒歩2分ほどの「宝福寺」は、お吉の菩提寺です。お吉の亡骸を宝福寺の第15代の住職が引き取り、手厚く葬られました。
昭和5年には水谷八重子さんらにより、新しい墓も寄進されたとのことです。
この宝福寺には、嵐で下田に寄港していた土佐藩主の山内容堂に、勝海舟が坂本龍馬の土佐脱藩の罪の許しを願うために謁見したとされる、謁見の間が残されています。
入り口には坂本龍馬を描いた看板もあります。黒船祭りでの米水兵の1枚を掲載しました。
隣接して「お吉記念館」が併設されています。
宝福寺正面 | |
宝福寺で憩う米海軍水兵 | |
併設されているお吉記念館 |
<安直楼>(地図)
苦悩の生涯を送ったとされるお吉ですが、明治15年から営んでいた料亭が「安直楼」です。
お吉さんが亡くなった後に寿司屋さんとして使用されていた建物は、当時の下田の建物を代表するなまこ壁の建物で、下田市の歴史建造物(史跡)に指定されています。
なまこ壁の安直楼の正面 |
その他、ハリスと出会った「玉泉寺」(ブログで紹介)があります。
彼女の生涯は「唐人お吉」という小説で広く知られるようになりましたが、下田の町には多くの「お吉伝説」が残っているようです。
お吉にちなんだお菓子は蓮台寺の「山福屋の牛乳せんべい」などいろいろあります。
2018年3月27日