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ぶらり旅・潮来・佐原花紀行「二本松寺」

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潮来あやめ祭り見学後、車で15分程の「あじさいの杜」と呼ばれている「二本松寺」を訪れました。

 

茨城県「二本松寺」
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茨城県「二本松寺」アジサイの道
茨城県「二本松寺」アジサイの道
茨城県「二本松寺」アジサイの道
茨城県「二本松寺」アジサイの道
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茨城県「二本松寺」アジサイ

途中道に迷い難渋しましたが、二本松寺に無事に到着。

 

二本松寺は平安時代に創建され、天台宗羽黒山覚城院二本松寺と号し、ご本尊は薬師如来です。

 

6月中旬~7月中旬にかけては、約70種10,000本のあじさいが咲き誇る景観が見られます。

 

あじさいの杜は、田んぼ脇の畦道沿いの傾斜地に広く植えられており、田植えの済んだ田園風景を眺めながら30分程の散策コースです。

 

散策コースの道は整備されていますので、普段履きで大丈夫。

 

散策コース入り口に比較的大きな駐車場がありますので、車で訪れても安心です。

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ぶらり旅・潮来・佐原花紀行「水郷佐原」

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花菖蒲で知られる「水郷佐原水生植物園」がある「佐原」は、江戸時代末期から昭和前期に栄え、その当時の木造町屋建築、蔵造の店舗や「伊能忠敬旧宅」などが残されている歴史の街です。

 

香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲の花風景
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船
香取市「水郷佐原水生植物園」菖蒲と嫁入り船

香取市佐原の「水郷佐原水生植物園」は、400種150万本の花菖蒲が水路脇に咲き誇る景観は、東洋一といわれるのも頷けます。

 

花菖蒲の種類は多く、品種改良を重ねて全国には約2,000種類の花菖蒲があるということです。

 

昭和44年に開園したこの水生植物園は、水生植物園の名の通り水生植物も栽培しており、水際の景観を引きたてています。

 

水生植物園ある地区は、十六の島が集まった集落だったそうで、島の間の交通手段として「サッパ船」が使われ、農仕事や買い物、お嫁さんに来てもらうにも船が必需品でした。

 

水生植物園のイベントの一つ「嫁入り船」はこの地区で行われていた結婚式を再現したものです。

 

嫁入り船のご両人は一般に募集した方が乗り、この日は結婚2年目(と聞こえました?)の方が記念にと応募したようです。

水路脇に並ぶ観光客から「おめでとう お幸せに」の祝福を受け幸せそうでしたね。

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ぶらり旅・播磨・北近畿紀行「姫路城」

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国宝「姫路城」は平成5年12月、奈良の法隆寺と共に日本で初の世界文化遺産となっています。

 

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 大手門入口近く
国宝「姫路城」大手門から望む
 お手門近くから望む
国宝「姫路城」菱の門
 菱の門入り口前から
国宝「姫路城」菱の門出口からの城
 菱の門出口より望む
国宝「姫路城」三国掘り
 三国掘りより望む
国宝「姫路城」本丸
 本丸より
国宝「姫路城」天守閣からの展望
 天守閣からの展望(左奥が姫路駅)
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 時代で異なる鯱瓦
国宝「姫路城」西の丸内の千姫
 千姫の人形(西の丸)
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 姫路城近くの土産物店
国宝「姫路城」西の丸から大天守を望む
 西の丸から大天守を望む

シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で呼ばれており、平成21年からの大天守保存修理工事が終了し、一段と華やかな姿をみせています。

 

漆喰の白さが目立ち遠くからは白いお城に見えることから「白すぎ城」などと言われたりしていますね。

 

姫路城は1346年に、姫山に本格的な城が築かれたのが始まりで、戦国時代の黒田官兵衛が生まれた城でもあり、秀吉の中国攻めの時に黒田官兵衛の進言を受けて秀吉も一時期入城しています。

 

関ヶ原後に池田輝政が姫路城に入城し、姫路城の大改築を行い、後に千姫と共に入城した本多忠政が西の丸を築き、今日の姫路城に至っています。

西の丸には千姫の化粧櫓があります。

 

推定ですが、大改築に携わった人数は延べ2400万人といわれていますが、駆り出された領民たちは大変だったでしょう。

 

姫路城が今日の姿を保っているのは、明治維新後の保存活動と第二次大戦時の空爆から逃れたことが大きいといわれています。

特に空襲時に落ちた爆弾が不発弾で戦火を免れた話は良く耳にします。

 

姫路城の勇壮で優美さを保っているのは、標高45メートルの姫山の上に31メートル程の天守が建ち、天守閣の高さは92メートルにもなるという高さにもあるのでしょう。

 

大阪城が60メートル弱、名古屋城が50メートル弱ですから、天にそびえるお城の感があります。

これに、姫路城の城地の広さが加わり、遠方から眺めた景観を引き立てています。

 

今回の訪問は、工事終了後の一般開放から数ヶ月後のため、観光客の数が多く、天守閣に登る階段の待ち時間には参りました。

それでも、姫路城の印象は強烈に残るものでしたね。

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ぶらり旅・播磨・北近畿紀行「竹田城跡」

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兵庫県朝来市にある「竹田城跡」は山城遺跡で、山城遺跡としては完存する遺構としては珍しく、虎が伏せているように見えることから「虎臥城(とらふせじょう・こがじょう)」とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。

 

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 竹田城跡がある古城山を望む
兵庫県朝来市「竹田城跡」
 雲海に浮かぶ竹田城跡(イメージ)
兵庫県朝来市「竹田城跡」城跡から市街を望む
 竹田城跡から市街を望む
兵庫県朝来市「竹田城跡」天守台
 南二の丸から天守台を望む
兵庫県朝来市「竹田城跡」二の丸
 南千畳から南二の丸を望む
兵庫県朝来市「竹田城跡」天守台を望む
 二の丸跡地から天守台を望む

竹田城は1443年に完成し、播磨・丹波・但馬の交通上の要塞として、羽柴秀長や赤松広秀など戦国時代の城主を経て、1600年の関ヶ原の役後廃城の歴史をたどっています。

 

廃城から400年余り経っていますが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模といわれています。

 

標高353mの古城山の山頂に築かれ、縄張りは南北400m、東西100mで、天守閣をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸等が築かれていました。

 

この竹田城跡は、秋から冬にかけての良く晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、この雲海に包まれた姿や竹田城から見下ろす風景は、天空に浮かぶ城を思わせ、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになりました。

 

この幻想的な風景が、マスコミや写真雑誌に掲載されるようになり、一目見ようと大勢の人々が訪れるようになりましたが、雲海が発生するのは晩秋からのほんの一時期の数回程度で、ほとんどの方は目にすることがないようです。

 

掲載写真は初夏の晴れた日の竹田城跡の風景です。

竹田城跡は、時代劇の撮影には適しているようで、影武者、天と地や、最近では軍師管兵衛のロケーション地として使用されています。

 

この日は城崎温泉泊まり。

日本海に面した古くからある外湯が有名な温泉地で、6つある外湯のうち、数軒の外湯を堪能しました。

宿の温泉よりは外湯へと、下駄をからげて出かける宿泊客の中に、下駄に浴衣姿の外国人も多く見られ国際色豊かな温泉地です。

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