ぶらり旅・播磨・北近畿紀行「姫路城」
国宝「姫路城」は平成5年12月、奈良の法隆寺と共に日本で初の世界文化遺産となっています。
大手門入口近く | |
お手門近くから望む | |
菱の門入り口前から | |
菱の門出口より望む | |
三国掘りより望む | |
本丸より | |
天守閣からの展望(左奥が姫路駅) | |
時代で異なる鯱瓦 | |
千姫の人形(西の丸) | |
姫路城近くの土産物店 | |
西の丸から大天守を望む |
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で呼ばれており、平成21年からの大天守保存修理工事が終了し、一段と華やかな姿をみせています。
漆喰の白さが目立ち遠くからは白いお城に見えることから「白すぎ城」などと言われたりしていますね。
姫路城は1346年に、姫山に本格的な城が築かれたのが始まりで、戦国時代の黒田官兵衛が生まれた城でもあり、秀吉の中国攻めの時に黒田官兵衛の進言を受けて秀吉も一時期入城しています。
関ヶ原後に池田輝政が姫路城に入城し、姫路城の大改築を行い、後に千姫と共に入城した本多忠政が西の丸を築き、今日の姫路城に至っています。
西の丸には千姫の化粧櫓があります。
推定ですが、大改築に携わった人数は延べ2400万人といわれていますが、駆り出された領民たちは大変だったでしょう。
姫路城が今日の姿を保っているのは、明治維新後の保存活動と第二次大戦時の空爆から逃れたことが大きいといわれています。
特に空襲時に落ちた爆弾が不発弾で戦火を免れた話は良く耳にします。
姫路城の勇壮で優美さを保っているのは、標高45メートルの姫山の上に31メートル程の天守が建ち、天守閣の高さは92メートルにもなるという高さにもあるのでしょう。
大阪城が60メートル弱、名古屋城が50メートル弱ですから、天にそびえるお城の感があります。
これに、姫路城の城地の広さが加わり、遠方から眺めた景観を引き立てています。
今回の訪問は、工事終了後の一般開放から数ヶ月後のため、観光客の数が多く、天守閣に登る階段の待ち時間には参りました。
それでも、姫路城の印象は強烈に残るものでしたね。
2015年7月9日